2013.11.30

航海

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移住した南の島から帰って来て数ヶ月過ぎた、冬の終わりのある日。
東京の街の雰囲気に馴染めずに浮遊していた私は、
季節外れの色鮮やかなダリアを一輪持って
友人の展覧会に代々木上原のダイニングバーへ行った。

彼女のどこまでも細密で神秘的な絵画は彼女の生き方そのもので、
小宇宙のようでいて壮大な、まるでシダーやセージの大地の香りが
その描写の隙間から力強く香ってくるような、
そんな独自の表現に多くの人が魅了されていて、私もその内の一人だった。

jazzが流れる上品な空間にしっとりと馴染む美しい絵をじっくりと観た後、
久しぶりに再会した彼女と赤ワインを呑んで話をした。
たわいのない一通り話が終わりかけていたその時、
まるで煮え切らない気持ちで過ごしていた日々を振り払うように、
私は突然、彼女に質問を投げかけた。

それは前の話の内容からは脈絡もなくあまりにも唐突な事だったので、
少しその場の空気の流れ方が変わった気がしたし、鼓動が早くなっていくのを感じた。
それでも彼女はその違和感をまるで感じなかったかのように自然に答えてくれた。
全てが自然に当たり前のように、そしてそれ以外の答えはないというように。

「絵が描けなくなった時はある?」という私の質問に、彼女は「一度もない」と答えた。

それは本心からだったし、全世界に言い放つ力強い決意のような
混じりのない純粋な言葉だった。

私はその後に付け足す会話が上手く思いつかず、
そのままワインを飲み干して真っ赤な彼女の画集を購入して
ありがとうと言ってさよならをした。


その力強く美しい一言と自分の状態とを私はそれから数年に渡って比較し続けた。
自分には情熱や心持ちや努力が足りないのだと思った。
ステージから離れれば、私に残るものは何もない気がして
廃人同然だと自責の念に囚われた。

絵を描いても、アクセサリーをつくっても、恋をしても、
仕事に明け暮れても、遠い国へ旅をしても、その空虚感は拭えなかった。

20代の頃のように無謀で何にでも飛び込める時期は終わったのだと、
周りの仲間もそれぞれの生き方の中で結婚や仕事で
着実に現実的に生きる術を学び始めている事に戸惑った。
どうでもいいと突き放しつつ、何も出来ていない自分に何処かで焦りを感じていた。

すごく厄介だったのは外的にはごく普通に健康的だったことだ。
朝7時に起きて週5日の仕事もこなせるし、人とも会える。
お気に入りのワンピースで遠出することも出来る。

そんな平穏な毎日が、そこでのうのうと生きている自分自身が、
心の奥底でどうしても許せないでいた、ということを別にすれば、
私はいたって平穏で幸せな女の子だった。

気がつけば、小さな塵が積もり、私の心は耳を塞ぎ目を閉じ口を結んだ。
自分自身でさえも自分に出会うことが許されていない様な感覚だった。
音楽も本も芝居も観れなくなった。
何よりもそれが一番苦しかった。


孤独な航海の中で沈みかけた私の船は、そのまま沈みはしなかった。
これといったはっきりとした理由がある訳ではない。
救いの使者が舞い降りて来たわけでもない。

結局どうあがいても、仮の自分で生きようとも、私は私なのだと
思えるようになったからなのかもしれない。

不器用に一生懸命生きる人々の、
一人一人にあるそれぞれの生を少しずつ見させてもらっている内に、
私は私でしか歌えない唄があるのだと気付かされたのだ。
それは生きている人間全てが持っている、生というアートだった。

部屋で歌おうが山で歌おうがステージで歌おうがスクリーンの中で歌おうが、
どこで歌っても自分の唄はずっと自分の中に在る。
区切りを作らず、気張らずに、そのままでいいと教えてくれたのは
あんなにも毛嫌いしていた普遍的な日常だったのだ。

日常は私に自分自身への許しを学ばせてくれた。

許し出すと小さくうずくまっていた自分自身が泣いた。
何年間もずっとその時を待っていたかのように、涙は止めどなく溢れた。


この文章を書き記すことも、まだ進み出してはいない
船の舵を取るための一歩なのかもしれない。
もしくは知らない内にもう船はどこかへ進み出しているのかもしれない。

沈んでしまったら何もかも終わりだけれど、
この船さえあればどこまでも行けるという希望があることも知った。
まだまだ見ていない知らない世界がたくさんある。
そしてまだ見ていない自分自身も。


数年どうにかなってた、なんていいじゃない
それも次のゲームを愉しむ為のスパイスになるのよって、

そんな風に言える日も近いような気がするのだ。














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