2012.09.22

富士山と旅とはじまり

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富士山の山頂までの道のりは
まるで私の今までの人生をなぞっているようだった

霧がかったゲートの先、木々も花もなくなり
マグマが固まって生まれた黒光りの岩々の路が
果てしなく続いていた

呼吸が浅くなって意識が少しずつ薄れていく
標高3000mを超えたあたりでは大地の音が
どこかへ収縮されていっているようで耳から遠のいた

地上では体感しない非日常の空気が
時間軸を溶かしていくようで
まさに夢の中を歩いているようだった



私は思えば10、20代のほとんどを
葛藤をエネルギーとして生きていたのだけれど
死ぬ事ばかり考えていた19歳の時、旅に出会った

旅が自分を、固まった思考や心を
いつも柔らかくしてくれた

一人で異国の地を歩いている時
想定外の事や美しすぎる偶然という名の必然に遭遇して
時に身体全ての細胞がひっくりかえるような体験をして
私はその度に生まれ変わったように
自分の世界観を少しずつ広くしていった

旅は何かを与えてくれるわけではない
感じるのは私だし、それを理解したり想うのも私だ
そして感じ取ったものを活かす本当の旅は、いつも帰ってきてから始まるのだ

旅は生き方だし、スタイルだと思う
それを必要としない人もいるだろうし、それが全ての人もいる

私は旅に生き、そうやって繰り返しこの足で歩いてきた



本八合目の山小屋に着いた時には食事が出来ないほど疲れ果てていた

人間なんだなって何度も思った
無に近くなっていっても痛みを感じるし、傷つくし嫌でも人を傷つけてしまう
弱くて強いこの身体と心を持った、人間なんだと思った

夜、横になっても痛み続ける頭を横目に、小屋の外に飛び出した

真冬のような寒さの中、低く浮かぶお月様を観た
星が近く、街が惑星の欠片のように小さく点滅していた

呼吸をして景色を、この宇宙を吸い込んだ

一人ではなかった

私は大地の一部だった



生活の中で繰り返される苦しみはいつの日か私の原動力にはならなくなった
という事に気がついたのはインドを旅してから数年目の事だった

私はそれまで苦しみの経験から唄を紡ぎ出してきたのだけれど
そういう方法じゃなくても生まれるアートがあると気がついた

経験した闇の深さは嫌でも滲み出るもので
明るい詞の唄を歌っていてもきっと私の「それ」は伝わるものだと思う

だから私はいつの日か光を求めて人生の旅をするようになった



深夜3時に小屋を出発して山頂へと向かった
連なる人々の列はただひたすら山頂のご来光を目指していて
まるでチベットかどこかの行者のような光景だった

どんどんと遠のく街の光が、夜の山の陰が
土を踏みしめる人々の足音が
調子を失っていた身体を嘘みたいに元気にさせた

2時間後、鳥居をくぐってあっという間に山頂の浅間神社へ着いた

5時15分、ピンク色の空からまるで光の根源のようなご来光を観た

理由もなく、手を合わせた
理由もなく、涙が出た

人々の涙の音が山頂に響いた

それは大地の神様から頂ける奇跡のような瞬間のご褒美だった



私はまた新しい人生の旅を始めようとしている

溶け出した心の雪が水になり、川になり、湖になり、海になり
そしていつか雨になりこの大地へ還ってゆく

自分が自分であるために

私は呼吸をする

この大地とともに
これからもきっと続ける大好きな旅とともに








***
新月あけの秋分ターニングポイント
お元気ですか?

私はやっと自分らしさを取り戻せつつあります

そして今ここにあるのは感謝だけです
すべてのことにありがとうの気持ちでいっぱいです

今回の富士登山は私にとって大きな目的がありました

それは登山前に富士山の麓、北口浅間神社でご挨拶と
山頂で大地の神様に祝詞を捧げることでした

思いのほか人生を振り返る旅になってしまったのですが(笑)

本八合目の小屋で働く友人にも会えたし
小さい頃から眺めていたお山に登れてとってもうれしかったです

もう歌えないのかもなんて思ってた時もありましたが
なんだか今は新しい唄を始められそうです


たくさんのご縁や経験に支えられています

ありがとう

大好きな秋の風と共に
すてきな日々を
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