2015.10.26

天戸開き



答えは外ではなく内にあった。



そんなことはインドの旅を終えた時に
とっくに心得ている事だと思っていた。 


今振り返ってみればそれは頭の中での気づきであり、
潜在的な心はそれを消化していなかった、と思う。

内と外の狭間で
私はひたすら瞳に映る外の世界に没頭した。

旅をしている時の様に。
ただそれはどこまでも終わることが出来ない旅だった。

仮面をつけて仕事をしている時だけでなく、
きっと内観し瞑想し、寝ている時でさえも。
私は外にばかり答えを求めていた。

日常を生きていればそんなことは至って普通のことだ。
だからこそ何も不思議に思わずに、
ただひたすら外の世界へ埋没していった。

日々繰り広げられる出来事をエゴは
ドラマティックに肥大化させ大きくさせた。


外の世界は魅力的だった。


自分次第でその世界への見方が変わるという事など
想像も出来ないほど、そこで繰り広げられる世界は
外へ外へとさらに心を誘った。

そして気がつけば心が傷つき、また傷ついても、
魂の意志は外の言葉に心を揺さぶられる音にかき消され、
ずっと声をあげれないでいた。

内なる声は自分の唄を歌う事が出来ないでいたのだ。






それはなるべくしてそうなったかのように、
心が外の言葉で破壊される日が突然訪れた。




数週間かけてその衝撃波のなか、
ひたすらシンプルな生活をした。
早寝早起きをして、朝陽を浴びて、呼吸した。
食事がなかなか食べれなかったけれど、
薬草を摂ったりそれも自然に身体の意思に任せた。
ネットからも離れて携帯も傍に置き、
ただ日常の中で生を生きた。


そのゆっくりとした傷口を治し癒す間で、
やっと内側への道が見えてきた。

それは闇からまさに光への天戸開きのようで、
今までにない脱皮だった。

答えが得られないからこそ引き込まれていった心は、
そこでやっと人生の山を越えるための突破口は、
外側ではなく内側なんだと実感した。

そしてありとあらゆる雁字搦めになっていた
すべての感情を手放した。

いい意味でどうでもよくなって力が抜けた。


無くなるものは消えるし、無くならないものは残る。
ただそれだけのことだ。



内側が満たされていれば他に執着する必要もなくなる。
未来へのヴィジョンさえもコントロールしようとする
意味もないことに気づく。


自分がどうしたいのか、どうあるのが幸せなのか。


外の世界はその自らの心を反映した鏡にすぎないのだ。


不思議なことに内側へと意識が向かうと風通りが良くなり、
ずっとやりたかった事のアプローチが外から訪れたり、
具現化する旅がスムーズに、心地よく始まりつつある。

内側が満たされていれば外には惑わされない。
むしろありがたさや繋がりを感じる。

宇宙へ全部任せて、自然の生のリズムを感じ、
ありのままの自分でいいんだと言われた心は満たされて、
自分が楽しいと思えることを楽して楽しめるのだ。



本当の自由は誰も傷つかない。



本当の愛は自分を愛せた時に初めて表現できる。



そこには恐れも不安も比較も破壊もない。



今までは苦しめば気づきを得られる、
という時代だったのかもしれない。
しかしこれからの新しい時代は苦行は力にならないのだ。


巫女であるには修行して苦しんでこそだ、
との固定概念のなか、それに反して苦行して
山に入ることへの抵抗がずっとあったけれど
その理由もわかり始めている。

これからはもっと楽しんで巫女でいれるような、
人生を心から楽しめるような、
そんな道筋を人びとに広めてゆきたい。

もちろん今までの経験はすべて糧にはなるし、
大切なプロセスだけれど、
内側に光を感じてこそはじめて、
本当の意味での自分の旅が出来るから。



それを教えてくれたたくさんの外の世界に。

心からの愛をこめて。

自分が今したいことを楽しみながら出来ることを。





内側から、始めるのだ。


























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