2014.10.19

修験道が全てではない〈山と神と人と〉



来週秩父三峰山の滝行の予定が入っていたが、
今日になって行かないという決断をした。

私の中でこの決断は大きく、この事を通して山に対する思いや、
古神道・アニミズムに根ざす巫女としての一つのポリシーを
自ら知るきっかけになった。

ここ数日は滝行への緊張感が漂っていた。

頭で考えると巫女として行くべきだと思うのだが、
身体と心はそれを強く拒否する。

そこには自分にとって大切な場所に行く事とは思えない様な
拒絶反応があって、その理由をここ数日ずっと深く考察していた。

そして昨日眠りの途中、突然深夜に起きて、
結論としてはそれは修験道という道筋に対しての
女性として、巫女としての抵抗感だと気付いた。


私は幼い頃から両親に連れられてたくさんの山に登ってきた。

立山、鳥海山、槍ヶ岳、白馬、利尻、筑波山、甲斐駒ケ岳、
穂高、金時、金峰、男体山、仙丈、常念、美ヶ原、乗鞍、、、。

私にとって山は自分の呼吸を想い出させる大切な場所だ。

ここ数年の間に登った大峰山や富士山、御嶽山や三輪山などは
巫女を志してから行った山だけれど、
感じるものはいつも幼い頃感じていたものと共通していた。

まるで自分に回帰するように自然へと溶け込んだ。

自然と繋がり自分が自分で居られる、というその感覚は
心を強く惹きつける瞬間だった。


奈良大峰山では本格的な修験道の文化へも触れた。

女人禁制の文化を今日でも守る人々との触れ合い、
その中で自らの山との接し方について
明確な答えが出たのも事実だ。

私は女性としてのこの肉体を持って今を生きている。
それは変えられない事実だ。

修験道の文化が男性を中心につくられ、山の路をつくり、
守られ、伝承されてきた歴史に、
心から尊敬すると同時に
私は修験道それ自体は
理屈なく男性のものであるべきだとも感じた。

大相撲の土俵に女性が入れないのは
ジェンダーでも男尊女卑でもなく、
一つの文化を継承し守っているという事と同じだ。


ここで記しておきたいのは山の神様との接し方は
修験道が全てではないという事だ。

山をよく知る登山者からは多くの学びがあるという事も忘れてはならない。

自然の脅威に触れ、美しさと対面し、風を感じ、
自分の呼吸と木々とを奏で、花を見つけて、
山の空気を享受している彼らはたくさんの知識や経験
そこで培った目に見えない直感力がある。

白い服を纏って登る事は一つの文化であり
神様と接する上でのしきたりや慣習で
大切に守るべきものだと思う一方で、

それでないといけない、ただの登山者とは違う、
というような修験道独特のストイックで男性的、
時に排他的なそれは、
本質的にそして純粋に山に溶け込み大地を感じる事を
忘れてしまいがちな部分でもあるのだ。

例えば御嶽山ではほとんどの修験者は山頂を目指し
そのまま来た道を下山する。

私自身はコンクリートで固められた立派な鳥居や御本殿がある山頂よりも
山頂からまた一つ山を越えた場所にある聖地三ノ池で
壮大な自然神に圧倒されどこまでも心が惹かれた。

私は三ノ池に行かずして御嶽山は語れないと思うくらい、
あの場所は特別であったという自らの真実から、
行かずに下山する数多くの修験者達の姿が不思議でならなかった。

ただ同時に、自分の直感を信じ、愉しみ、悦びを感じ、
そして何よりも自由である事で
必要なタイミングで行くべき人は
行くべき場所へ辿り着く
という事もより鮮明に見えた経験にもなった。


山と神と人との関わり。

それにはもっと自由さがあってもいいと思う。
伝統を守り形式通り、を一回学んだ後で残るのは
自分の感覚、直感力のみだ。

宗教も哲学も文化も。

滝行に行かないからといって巫女として脱落したわけでもなく、
逃げているわけでもない。

私はいつだって純度高く、本質的でありたいと思っている。


巫女として、女性として、

この生を全うする一人の人として。





























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Posted at 14:04 | ひとりごと | COM(2) |