2008.08.31

遠いところへ

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遠いところへ行きたい

見たこともない色彩の空気に触れて
まわりの言葉がわからなくて、わかろうとするのを諦められる
そんな遠い場所へ 

現実はあまりにも強烈に今を照らしだす

一生懸命になりすぎて
美しい言葉を並べすぎて

気がついたら今のこの一瞬を見つめるのすら
勇気が必要になっている


そんな自分を傍らにおいて


原色の夢をみる


遠い国の遠い記憶

どこまでもついてくる自分と
今という現実がそこにもあっても

それが砂のように小さく在ることを
実感するために
それが水のように自由に踊れることを
体感するために


わたしはまた旅に出る



  



***
今日は新月
新月は昔、朔、ついたちとも呼ばれていたようです
まさにはじまりの時ですね

雲旅行記の続きを書きます



今回の出雲の旅の目的は
60年に一度の出雲大社の本殿特別拝観と
スサノオという神さまにふれることだった

出雲大社本殿の特別拝観
60年に一度ということもあり、朝から正装した人が列をつくった

本殿の中は凛としていて、それでいておおらかで
大きな大木の柱が中央にそびえ
母親の胎内のような場所だった

天井に雲の絵が描かれていて
原色の色が宿る生き生きとした雲に
芸術の根元みたいな力を感じた

天井の雲の数が本来の数よりひとつ少なくあえて描かれていて
それはまだ未完であるとは、成長・発展の余地がある
という意味だからだという

生の放つ光を感じる瞬間だった


本殿の参拝を終え
2つ目の目的であるスサノオの神
奥出雲の山の中にある須佐神社に行った

大きな大木が本殿の裏にそびえたち
そこには大きな黒い蝶がずっと飛んでいた

高貴な黒はとても神聖な木にふさわしく
わたしはそこからしばらく空を見上げていた

「何もないことの眩暈」

特別な場所を訪れると岡本太郎が沖縄のウタキにふれて
言った言葉を思い出す

大切なことは見えないと
大切なことを自然はいつも教えてくれる

それから参拝を終えると
大きな大きな雨が降った

滝に打たれるようにその場が一瞬にして轟いた

浄化の雨なんだと思った

それは海の中に浸かったような景色だった


帰り際、バスの運転手さんが、時々あそこだけ
雨が降るんだと教えてくれて
言ったとおり、少し離れて角を曲がると
嘘みたいに雨は上がった

帰りの空には竜の雲
そこはエメラルド色に光っていて
小さな虹がかかっていた


よく「あの場所に呼ばれた」と人は言うが
それは人間の勘違いかもしれない

それでもこうやって奇跡みたいな景色に出会うと

わたしは呼ばれたんだな と
天が祝福してくれたのかもしれないな と思う


短い出雲の旅が終わろうとしている、
山を下るバスの中
満たされていく何かを感じた




***

もうすこしづつ秋が始まっていますね
わたしはこの秋の少し冷たい風や
虫の声がとても好きです


秋の音とともに
新月の唄をうたって

























Posted at 18:58 | |
2008.08.17

出雲旅行記

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夜を手放し太陽を迎い入れた朝
始まりの澄んだ光と共に
私は大きな岩の前に佇んでいた

島根県出雲
出雲大社をはじめとする多くの古代からあるお社と
豊かな自然とともに神が住まう場所だ

出雲大社の参拝を終えて、そのまま引き込まれるように
本殿の横を通って、裏にそびえ立つ山の方に行った

木々の揺れる緑の中、本殿の横で震えた
その感情をなかなか言葉には出来ないけど、
自分の魂を揺らす、大きすぎる存在に出会えた時と似ていた

出雲大社の本殿の裏には小さいお社があった

素鵞社

苔に包まれていてしばらく目をそらすことが出来ない
とても大きな存在感を感じさせるお社だ

ここは素鵞鳴尊(スサノオノミコト)が祀られている

そのお社の裏に磐境(大きな岩)があり
そこは天とこの世の境目のような場所だった

わたしはしばらくそこで佇んでいた
きっと古代はこうした山々が神だったのだと感じた

それは神道のルーツともされている沖縄のウタキ(祈りの聖地)が
何もないことと同じだった

何もないのに何かある 場所

朝のはじまりの光が射した時、
その岩が生き生きと呼吸をしている事に気がついた

太陽が空を包んだ、あの眠りから覚めた
自然のはじまりの唄を感じた

自然と自分は何も変わらないと思った
森羅万象と共生し生きている、自分という小宇宙



帰り際、八百万の神々に祈る祝詞が聞こえた
おじさんが隣で手を合わしていた

すごく何かがよみがえった
これでいいと思えた

大地が呼吸するように
わたしも呼吸をする

そこには音がちゃんとあった



以前、研究者の大橋力が興味深い話をしていた

人間はアフリカの熱帯雨林で進化して現生人類となったから
人間の遺伝子と脳は、音が豊富なその熱帯雨林の
環境に合わせて設計されている 

自然のもつ音はもともと私たちが必要とする音


帰ってきてから都会を通ると、音がないと感じるのは
このせいかもしれないと思った






***
今日は満月です
昨日スーフィーのBody Art Workshopに参加しました

「Dhikr」というチャンティング(詠唱)とムーブメントなどを通して、
体を動かすことの神髄はどこから来るのか、
ムーブメント(動くこと)をしながら瞑想したりととても充実した内容でした

意志や思考、感情をも超えたところでわき上がる動き
それはまさに魂のパフォーマンスといえ、
こういった動きに気づかされる事は、唄を歌う上でもとても勉強になりました

自分を空っぽにして、オーディエンスのエネルギーと共鳴し、自分に取り入れ
まさにそれが原動力となり、自分を超えたパフォーマンスをする

唄い手としては人に伝える上で、大切な軸だとおもいます

8/24(sun)にはcamel of dreamというスーフィーの
音楽イベントがあります
Rumiというすてきな音楽グループのライブ、
ベリーダンスのパフォーマンスもあります

わたしもスタッフとして行く予定なので、
よかったら遊びにきてみてください☆
http://www.kahve.jp/hammam/0824_ws.htm



出雲旅行記、続きも近日UPします

お楽しみに















Posted at 15:27 | |
2008.08.01

一粒の砂のなかに

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一粒の砂のなかにひとつの世界を
一輪の野の花のなかにひとつの天国を見る
きみの手のひらのなかに無限を
一時のなかに永遠をとらえる

William Blake 『Auguries of Innocence』より



見えないモノを信じていると
なぜそんなに信じていられるのか、
それは幻想にすぎないのではないか、
と訊かれる時がある

見えないモノは自分にとっては真実でも
他の人にはただの幻想にみえるのかもしれない

私は何度も訊かれる

その度に葛藤して自問する
そしてその度に自分の真実を確信する

葛藤は障害ではない
葛藤は時として自分の中に眠る真実に
色と感情を与え、リアリティを与える

それは幻想では感じられない「吐息」をきく瞬間だ

自分の中で真実が「生きている」と
声を上げる瞬間

足りない何かを探すのではなく
すでにここに存在する真実に
向き合う旅

葛藤は何度でも訪れ、それを教えてくれる




***
今日は新月 
しかも皆既日食です
中国、日本の一部で見られたようです

来週、出雲を旅してきます
神々の神話が生まれた場所
またレポートなどupしますのでお楽しみに

最近はもっぱら本トリップを楽しんでいる毎日です
最近読んだおすすめの本を紹介します

『チベットの生と死の書』ソギャル・リンポチェ
『預言者』カリール・ジブラン
『ミクロコスモス』中沢新一
『ザーヒル』パウロ・コエーリョ
『ディバイン・マジック』ドリーン・バーチュー

どの本にも共通しているのは、
信じることや自分の真実と向き合うことの大切さや、
哀しみや怒りなどに執着するのではなく、
今という瞬間の喜びに感謝すること、

などが描かれています

ぜひ興味がありましたら読んでみてください!☆


そのら














Posted at 20:47 | ひとりごと |